誰でも人に嫌なことをされたり、
言われたりするのは嫌ですよね。
冷たい態度や
イジワルな言葉を使われたら
いい気持ちはしないし、
それどころか、悲しくなったり
それがきっかけとなって、
病気になることだってあります。

クラスの子にイジワルされた!

昨日まで一緒に遊んでいた子が今日は冷たかった!
子供の世界でも、大人になっても
人間関係を築くことは難しいものです。

嫌な思いをした時、相手ばかりを責めるのもしょうがないよね?

でも、ちょっとだけ冷静になって考えてみて?
先に嫌なことはしなかった?
無意識でも相手を傷つけることを言ったりしなかった?
もちろん、
自分が悪かったのかもと、
自分ばかりを責めるという意味ではありません。
傷つけられたからといって、
相手を傷つけていいわけではないですよね。

何もしてなくても、嫌なことをする人はいるよ?

どんな相手でも、
思いやって接すれば、
相手も同じように接してくれるよ。
それでも、合わない人とは
ちょうどいい距離感を保つようにすればいいと思うよ。
- 自分と同じように相手のことを思いやる。
- 自分がされて嫌なことは相手にもしない。
- 生理的に無理な人とは、無理に合わせず、最低限の礼儀を持って接すればよい。
【因果応報】とは?

【因果応報】という言葉を知っていますか?
いんが-おうほう【因果応報】
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/
自分の行いは自分自身に返ってくるという
考え方です。
つまり、
この【因果応報】の考え方から、
自分が意地悪すれば、
相手からも意地悪される。
自分が相手を敬えば、
相手からも敬われる。
自分の言動によって
人の対応も変わってくるということです。
言葉と言動

言葉や行動は自分の気持ち伝える
大切な手段です。
どのように伝えるかによって、
自分に対する相手の評価は変わってきます。
例えるなら、自分の言動は「種」です。
自分が蒔いた「種」がどんな「種」かで、
刈り取る「実」がどんなものか決まります。
自分の言葉や態度=「種」
相手の心=「土」
相手からの自分への態度=「実」
「種」を「土」に蒔いて、
「土」の中で育ち、やがて実が生ります。
つまり、
自分の言葉や態度は相手の中で育ち、
相手から自分への印象や態度が決まる。
自分が蒔いた「種」の成果は
自分に返ってくるということです。
良い「種」を蒔いて、良い「実」を収穫する

相手に良くして欲しいなら、
まずは自分が良くする。
自分がされたくないと思うことは、
相手にもしない。
頭ではわかっているけど、
なかなか難しいことです。
生きてきた環境も違えば、
性格、価値観、考え方…
男女の違いや年齢の差もあります。
人の数だけ違います。
同じような価値感を持っていたとしても
全く同じというわけにはいきません。
そこが面白いところでもあるわけですが、
一番難しいところでもあります。
それでも、
相手のことを思いやって向き合えば、
言葉や行動、態度は決まってきます。
- 自分と同じように相手のことを思いやる。
- 自分がされて嫌なことは相手にもしない。
お互いに人間なので、
生理的に無理という場合もありますよね。
無理に相手に良くしなさいということではなく、
相手も人間、
最低限の礼儀や敬いの心を持って接して、
必要以上に近づかないというのも
自分と相手との距離感を保つために
必要なことだと思います。
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